小川町 元気プラザ キャンプ場周辺

場所:元気プラザ キャンプ場周辺(埼玉県比企郡小川町木呂子561)

日時:2014 年6 月19 日(木) 午前10時45分~午後4時5分

天気:晴れ 南東の風2 m

方法:移動測定=地上50cm 高、定点測定(60 秒間の平均)= 50cm 高、5cm 高

機器:ホットスポットファインダー(ポニー工業)Csl(TI)+半導体型光検出器MPPC

《 移動測定平均0.053μSv/h 自然放射線が影響している?》

 上地図の1~10の地点の順に徒歩で移動しながら測定しました。キャンプ場周辺を詳しく測定しましたが、敷地全体は上り坂、下り坂の連続で、体力勝負の測定となりました。

写真➅ ここは斜面の下のほうですが、右のグラフでは、セシウムの山がはっきりみえません。他の放射性核種に埋もれている形になっています。尾根の頂上付近で測定してもグラフは似たような形でした。この傾向は上の地図の点線のエリアで顕著でした。東隣はホンダ寄居工場で、今もブルドーザーが山を削り造成中です。

 このグラフを土壌分析に詳しい方に見せて、分析してもらったところ、おそらく自然核種の影響だろう、自然放射線+セシウムの合算として数値をみたほうがいいとのことです。

 

左のグラフは木呂子池(写真①)の地表付近の放射線スペクトルです。写真➅とは対照的に、セシウム137(Cs137)とセシウム134(Cs134)の山がきれいにみえます。ここは自然放射線の影響はあまりなく、セシウムの汚染であると考えられます。地形的には元気プラザのふもとになります。

写真➂は高い値ですが、耐火レンガの自然放射線です。わんぱくアスレチックの付近と異なり、放射性物質はレンガに固定されているので、その分危険も小さいと思われます。 

写真④は至近距離ですが、右の高い数値のほうは山道からの階段の下です。斜面から流れ落ちる雨水が溜まりそうな場所でした。右のグラフはその地表付近の放射線スペクトルです。自然放射線の影響も若干あるかも知れませんが、セシウムの山がはっきりみえます。

写真⑤は中央炊事場と下の広場ですが、下は雨水が流れ落ちて溜まる場所のようです。線量に倍以上の開きがでました。

 

写真➅は灰置き場で、真っ黒な灰の山です。さぞ高い線量になるだろうと測定すると、意外なことにとても低い値でした。測って見なければわからないものです。ここの薪置き場には右のような張り紙がありました。ここの薪はゲルマで測定し、検出限界5Bq/Kgで不検出とありました。

写真➇はホンダ寄居工場の造成地の境になっています。ここでの値も、セシウムと自然放射性物質の合算として見るべきだと思います。

ここから少し離れた場所はどこも、0.040~0.050μSv/hなので、0.030~0.040μSv/hくらいは自然放射線のせいで高めの数値になっているのではないでしょうか。

写真⑨ふれあいの森では、傾斜地の中腹とふもとで測定しました。右のスペクトルは上が50cm高、下が地表付近です。セシウムの山も見えますが、それだけでなく、いろいろな核種が観測されているようです。ここではカリウムの山(一番右のピーク)もはっきりわかります。この数値もセシウムと自然放射線の合算と見るべきです。斜面の下は、雨水も溜まりところなので、高い数字となります。

 

写真10は元気プラザの近くの展望台です。やはり山のてっぺんは気持ちがいい。

 

ちなみに山頂の元気プラザ本館は測定しそこねました。測定当日、本庄市内の小学生が来ていたのですが、ちょうど僕らがそこにたどりついたとき、若い女性教師が全員を整列させて、なにやら注意をしている様子。聞いているとだんだん激していき、その怖いことw その迫力に定点測定を忘れてしまい、退散してしまいました(笑)

まとめ 

 寄居から小川にかけては、「彩の国資源循環工場」の敷地内を除けば、どこも低い値なので、元気プラザも同じで、ただ広いだけと思って測定しました。ところが、思わぬところで、高い値を測定しました。このまま元気プラザには、放射線の高いところがあるぞーと発表することもできず、土壌分析に詳しい人に相談したり、あれこれ本を読んで勉強したりもしました。

 

以下は、僕なりに推測したことです。

 

1)この地区の福島第一原発によるセシウム汚染は、埼玉県の他の地区に比べて小さかった。

2)それでも、斜面の下など、雨水の溜まりやすい場所では若干放射線量が高くなる。

3)加えて、ホンダ寄居工場の造成によって、土ぼこりが尾根を中心にして降り積もり、その土ぼこりに含まれる自然放射線が計測値を高くしている。

 

 セシウムと同様に、風雨で移動可能な状態の自然放射性物質の危険性については、ネットや本で調べてもよくわかりませんでした。しかし、人形峠のウラン鉱床跡では、閉山後、地元の人々が健康被害に苦しんだといいます。当時「自然放射線だから大丈夫だ」という公社の責任者の言葉を信じた、という記録が残っています。